プロフィール

生きているうちに

ぼくは、毎日3回唱える。

「ただ、生きればいい」

「ただ、生きればいい」

「ただただ、生きればいい」

そしてそのあと、

「だからこそ、生きているうちに」

と。

1961年生まれ。出版プロデューサー。

3歳の時、カエルを追いかけて池に落ち、そのまま沈む。気がついた母親が慌てて探し出して救助。わずか3歳にして生死の分かれ目を経験する。

4歳の時、父親の財布から畳の上にこぼれ落ちていた5円玉を、何の考えもなしに口に放り込んで飲み込む。父親が気がついて、慌てて病院へ。幸か不幸か、喉の途中に引っかかっていて取り出しに成功。あとどれくらい、処置が遅れていたら窒息死していたか。いまとなっては記憶が定まらず。

5歳のとき、山へ遊びに入ってスズメバチの大群に教われるも、これまた親の対応が早くて命を救われる。病院で、「死んでいても不思議ではないほど刺されている」と親にこぼした先生の言葉が、未だに頭から離れない。

小学校2年生の時、自営業で忙しくしている父親に、「高島屋に連れて行って!」と駄々をこね、キレた父親が車に乗せて連れて行った先は、雨上がりの濁流が流れる橋の上。そこで片足だけ捕まえて逆さに。そのまま川に落とされる寸前に、母親が懇願して断念。九死に一生を得る。

高校一年生のとき、朝の通学路に車がスピンしてきてはねられ、3メートル下の田んぼに転落。気を失いそうになりながらも目を開けると、上から車が落下してきたのが見え、無意識のうちに身体を反転。車は反転させた身体のすぐ隣に落下してきて、奇跡的に最悪の事態を免れた。

そんなふうに、子供の頃に幾度も死を免れた本人とは裏腹に、高校生の時に友人を白血病で、二十歳の時に同じく友人を交通事故で、31歳の時にしょこたんこと、中川翔子さんの父親、友人だった中川勝彦さんを白血病で、39歳の時に父親を事故で突然、40代では、それぞれ友人を糖尿病と、東京のど真ん中で孤独死によって失っている。

そのような経験から、「ピン!ときたことは思いついた時に。人はいつ死ぬか、わからないから」をモットーに、出版を通じて、人の喜びや感動の創出を目的とした仕事をしている。


「記憶を、記録へ」

「無形を、有形へ」

その先に広がるあなたのビジョンを、

明確にイメージして実現することが、

出版プロデュースの使命と考えています。


なたが成功することで、救える人が増えるのです。
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参考までにお伝えすると、

渡辺末美は元雑誌編集長(東京の紀伊国屋書店や青山ブックセンターで平積みされた伝説の「SAN-IN スタイルブック」)であり、

シンクタンクの研究員の経歴を合わせ持つ。